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『一〇〇年前の世界一周』アベグ・ワルデマール【写真集】

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本書の概要

1905年、ドイツ人青年「アベグ・ワルデマール」が、1年半かけてアメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカを旅し、撮影した写真を中心に編まれた作品。

旅から50年を経て記した旅の回想録、当時の時代背景を交えた文章が添えられた117点の写真による100年前の世界の記録。

読書感想

グランドツアー

世界は広い、そして各地ごとに多様な文化と暮らしがある。

昨今はネットで容易に世界の様子を知った気分になることができるが、本作で受ける感慨はその比ではなかった。

当時、(一部階級の話しであるが)ヨーロッパでは学業修了のあと、「グランドツアー」と称してヨーロッパを旅行することが流行っていたようだ。

その後、交通手段の発達といった時代背景もあり長距離の旅も快適なものへと変化した。

ワルデマールは、写真機を手に西へ向けて世界一周の旅に出かける。

半世紀前の旅を振り返る

彼は旅を終えてから約半世紀を経て、回想記を綴っている。

その半世紀は世界が暗い時代へと突き進む頃、彼は死ぬ前にと考えたのかもしれない。

本作は、その手記と写真をもとにフランス人の「ボリス・マルタン」という編集人が一冊にまとめあげたものだ。

このボリスという方が、ワルデマールの一生をよく調べて書いており本作の内容をより深いものにしている。

ワルデマールという人物について

写真機が世に生まれて50年程の時代に写真機を手に世界一周、想像されるとおり、いわゆる彼は「ボンボン」である。

そして、彼は公務員を生業とするものであり、写真芸術家ではない。

芸術性を追求したわけでは無く、被写体と同じ目線で、ごく普通の旅人の目線で撮影された117点の写真は、当時の様子を自然に浮き上がらせていると感じる。

なぜ彼は旅に出たのか

旅をした時のワルデマールは30歳を超えているのだが、内向的で嫌味のない性格である一方で、世間に疎いぼやっとした印象もうける 。

旅はまずヨーロッパを出港しアメリカに向かうのだが、船上は当時ヨーロッパ各地で迫害を受けたユダヤ人で溢れている。

その様子を写真におさめているが手記では一切そのことに触れていない。

どころか、一人部屋の船室にしてもらえるよう船長に掛けあったりなどは記載があり、世の状況を知らずか、いい気なものである。

アメリカに付いてからは、なるべく人と関わりたくない、下手な英語を聞かれたくないとの理由でホテルを出て、自由気ままに過ごせるアパートを探し求める。

一体なぜおまえは旅に出たのかと思う。

旅が人間を育てる

生まれてからずっと親元で暮らし地元以外の世界を知らない彼を、旅が大きく変えていく

アメリカを東海岸から西海岸まで半年かけて渡り切るころには、かなりたくましい様子が伺える。

当地で出会った一人のアメリカ人は、半世紀後手紙を出したところ返事が来たという。

この次に日本へ渡るのだが、写真から観察できる当時のアメリカと日本の落差がすごい。

少し先とはいえ、よく日本はアメリカに挑んだものだと思う。

百年前の日本

近代的な建物や橋、イルミネーションで街を彩るアメリカに対し、日本はまだ「江戸」という雰囲気だ。

しかし、大戦前の日本はワルデマールにとって大変気の合うものだったらしい。 彼は4か月滞在し、英語とドイツ語を駆使する有能なガイドにも恵まれ、日本各地を歩きまわる。

彼自身が一緒におさまった写真が数点あるのだが、彼の柔らかい安らぐ姿に、日本という極東の地を愛した様子がうかがえる。

当時の日本は日露戦争に勝利し、明治時代もっとも隆盛期といえる頃だが、彼は日本古来の文化を探し求めたようだ。

写真はいずれも近代化する東京ではなく、民衆の暮らす村や自然ばかりである。

旅のその後

その後、中国からインドへと進み地中海を経て帰国し、長い1年半にも渡る旅が終わる。

ワルデマールには、文明が高度に発達したヨーロッパやアメリカよりも、貧しいながらも地に根を張りたくましく生きるアジアの人々の姿が心に残ったようだ。

やがて彼は、ヒットラーにより世界を蹂躙せんとするドイツを捨てる。世界が滅びたあと、彼は半世紀前の旅で目にしたアジアの人々の暮らしを思い出し、回想記を書こうと思ったのではないか。写真に残した世界が次々と滅んでいく様子を、彼はどんな気持ちで眺めていたのだろう。

大判の写真集で少々贅沢な買い物となったが、値段以上に贅沢で豊かな読書となった

貴重な本との出会いに感謝。

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