仏新聞社襲撃事件 個人的雑感
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仏新聞社襲撃事件について思うこと
ブログの主旨から外れるが、表題の一連の事件に関する報道を見ていて多くのことを感じ考えさせられた。
未熟さもふくめ現時点でどのように考えたかを記録しておく。
一連事件概要
仏新聞社襲撃事件
【1月7日 AFP】(一部更新)仏パリ(Paris)にある風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の本社が7日、武装した少なくとも2人の男に襲撃され、警察官2人を含む少なくとも12人が死亡した。
パリ南部の郊外モンルージュ発砲事件
【1月8日 AFP】(一部更新)仏パリ(Paris)郊外モンルージュ(Montrouge)で8日、防弾ベストを着た男が警察官らに向けて自動小銃を発砲し、女性警官1人が死亡、市職員1人が重傷を負った。
パリ東部食品店・パリ北東部印刷会社立てこもり事件
フランスのパリ北東ダマルタンアンゴエルの印刷会社に立てこもっていた週刊紙銃撃事件の容疑者兄弟が9日、治安部隊の突入によって殺害された。またパリ東部のユダヤ系食料品店で人質を取り立てこもっていた容疑者も殺害され、人質4人が犠牲となった。
事件における死亡者
参考記事
French terror attacks: Victim obituaries
Profiles of the 17 victims, killed in three days of attacks in Paris by the Kouachi brothers and Amedy Coulibaly.
仏新聞社襲撃事件の被害者
- Stephane Charbonnier(47歳)編集長
- Jean Cabut(76歳)漫画家
- Georges Wolinski(80歳)漫画家
- Bernard Verlhac(57歳)漫画家
- Philippe Honore(73歳)漫画家
- Bernard Maris(68歳)経済学者
- Elsa Cayat(55歳)精神分析医・コラムニスト
- Mustapha Ourrad(60歳)校正担当者
- Michel Renaud(69歳)訪問者
- Frederic Boisseau(42歳)ビル管理人
- Ahmed Merabet(42歳)警察官
- Brigadier Franck Brinsolaro(49歳)警察官・ボディーガード
パリ南部の郊外モンルージュ発砲事件の被害者
- Clarissa Jean-Philippe(26歳)警察官
仏新聞社襲撃事件の容疑者
- Said Kouachi(34歳)
- Cherif Kouachi(32歳)※サイドの弟
パリ東部食品店立てこもり事件の人質
- Yoav Hattab(21歳)学生
- Yohan Cohen(20歳)スパーマーケット店員
- Philippe Braham(45歳)IT企業会社員
- Francois-Michel Saada(63歳)年金ファンドマネージャー
パリ南部の郊外モンルージュ発砲事件・パリ東部食品店立てこもり事件の容疑者
- Amedy Coulibaly(32歳)
雑感
死亡者を調べるにあたり
20人の人が亡くなった。このうち、3人はテロ容疑者として警察に射殺され、他17人はテロ容疑者により殺された。
私見の多い新聞を極力排し、通信社の記事から亡くなった人を時系列に記した。(事件が解明されるまで、詳細な時間は現時点では不明)
事件を知りニュースを見た時、「表現の自由vsテロ」という構図ですでに報道が行われていた。(主に国内のラジオ、ネット)
表現の自由は正義、表現の自由を守れといった空気から離れ、人命が失われた事件であることをまずは確認するため、このような作業を行った。
人命が失われたこと
「表現の自由vsテロ」を前面に押し出したニュースが多く、数日で20人もの人が死んだ事実は隠れてしまっているように感じた。
よって「人が死んだ」ことに絞って考えてみる。
殺された人がいる、もう一方で殺した人がいる。
どちらも同じフランス人で、それぞれ異なる人生を送り、不幸な事件が起きた。
事件にたらればもないとは思うが、武装した3人が別の人生を送っていれば、少なくとも今回の事件は無かったと考えてみる。
新聞社を襲った兄弟の弟は、過去に音楽をやっていた。
しかし、人生のどこかの時点でラップではなく銃を取ることを選択した。
French terror attacks: Victim obituaries
Profiles of the 17 victims, killed in three days of attacks in Paris by the Kouachi brothers and Amedy Coulibaly.
子ども時代が不幸だからといって、全員が殺人を行うわけではない。
しかし、貧困・差別を受け続けるとその可能性は高くなる一方ではないか。
個人の話で恐縮だが、若かりしころは日々生活に困窮することが多く、妬み、怒りなどマイナスを指向した気分でいることが多かった。外国で暮らしていた際には白人社会に馴染めず、随分と差別的な言動をとられることも少なくなかった。
その後、運よく食べるに困らない生活を手にいれることができ、いつしか怒りや妬む気持ちは薄れていった。
またもや、たらればだが、もし運が悪かったらどうなっていただろうと考えてみる。
なぜこういうことを考えてみようと思ったか、それは事件のあとパリで行われたデモの先頭にフランスの為政者たちの姿があり、違和感を感じたからだ。
なにが違和感のもとであったか。
自国民がテロ組織に身を寄せ、生まれ育った国でテロ行為を行うにいたった。
為政者の立場からすれば、今回の事件は表現の自由が破られたことよりも、高い失業率、移民問題、貧困、差別といった長年の国内問題を解決できなかった政治的敗北ということではないかと。
デモに参加しメッセージを出すのは、とりわけ国民を手厚く保護するフランスの強い政治をアピールする必要があったためと思う。
しかし、私には敗北者が姿を晒しているとしか映らなかった。 そう感じた自分はひねくれているだけなのか。
表現の自由とは
日本とフランスでは「表現の自由」が意味するものは異なる、ということはいくつかの記事で勉強になった。
しかし、デモで為政者が表現の自由を守る、と発言していたことに違和感があった。
私の個人的感覚であるが、表現の自由は弱者のものではないのか。
立場の弱い側が圧力に屈してモノを言えない状況を防ぐために、人類が生み出した知恵だと思っていたのだが、今回の事件に関連し多様な立場で表現の自由が語られているのを見ると、どうにもわからなくなる。
少なくとも、テレビニュースで表現の自由はマルかバツかのように報じていたものはおかしいであろう。
あと自由として認められる範囲はどこまでか。
これは、フランスの立場はダブルスタンダードであるという主張や、ローマ法王のメッセージが出てきたことで少し整理されてくるのではないか。
一切の立場を認めないとして、異文化・宗教を持つ民族を受け入れることは、やはり破綻を生むことは、はるか昔ギリシア・ローマ時代以降なんども証明されてきた。
寛容に受け入れるまで進まなくとも、強硬に議論すら認めないフランスの状況はいずれまた同様の悲劇を繰り返すだけだと思う。
自分なりの結論というかどうすれば良いか
やはり、今回の事件は、表現の自由はただのトリガーでしかなく、原因の底にあるのは貧困と差別だと思う。
日本で暮らしていてもイスラム教への侮辱や差別は漏れ伝わってくる。
差別をなくす、あるいはそれらから完全に目を背け続けることは不可能であろう。
フランス国内には多くのイスラム教徒がいるが、すべてが武装集団に協調しているわけではない。
銃を手に取る以外の方法で忸怩たる思いを消化する分岐点として、貧困状態であるか否かは、かなり大きいと思う。
表現の自由も大切だとは思うが、命あっての話だ。
ダルデンヌ兄弟のフランス映画を良く見るせいか、フランスの不幸な子どもの映像が頭に浮かぶ。
彼らのよりどころが武装集団とならないようにすることが、今回の不幸を繰り返さない方法だと思う。