『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 【あらすじ・感想】
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『わたしを離さないで』あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友トミーやルースも提供者だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度…。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく―全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。 — 本書より引用
読書感想
小説と言うものは十年、二十年と読んでいてもまったく新しい世界に出会わせてくれる。
私にとって本作はまさにそういった作品であった。
舞台は1990年台終わりのイギリス。
現在31歳、十一年以上も「介護人」として働く「キャシー・H」の回想により物語が始まる。
彼女の原点は16歳まで一歩も外の世界を知らぬままに過ごしたヘールシャム。
そこには教師たちに見守られながら成長していく子どもたちの光景がある。
ヘールシャムで子どもたちが名付けた、「カラス仮面」「交換切符論争」「対マダム計画」「先生の秘密親衛隊」などなど。
無限の想像力を働かせ、世界を現実以上に広げる力を持った子どもたちの姿がまぶしい。
キャシーが語る回想はイギリスの片田舎にある寄宿舎を想像させる。
しかし読み進むに連れ、空に薄い雲が層を重ねていくように、わずかな違和感が積み重なっていく。
ヘールシャムで子どもたちに教育を行う大人達は「保護管」である。
教師ではなく「保護管」、なぜだろう?
そうえいば、キャシーの職業「介護人」。
キャシーは冒頭で四度目の「提供」を終えた「提供者」がどうとか話していた。
「提供者」とはなんだろうか?
気がつけば空は分厚い雲で覆われている、そんな気分である。
保護管の1人であるルーシー先生は、ある日不穏な様子で子どもたちにこう伝える。
あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。 — 本書より引用
ヘールシャムで過ごす子どもたちに向けた言葉であるが、読み進めていくに連れこの言葉は読み手である私にも向けられていたのだと気づく。
物語の謎めいた部分にはあまり触れたくはないので簡単に言うと、キャシー達が過ごす世界は非常に過酷だ。
しかし、その過酷な境遇における物語が「誰しも何らかの制約の元で生きている」程度の印象に留まる。なぜか?
キャシーは例え悲しみや怒りに満ちた回想であってもけして落ち着きを失うことがない。
その時々の誰に対しても公平に、分け隔てなく気持ちを寄せて想いを語る。
読み進むに連れてしだいに膨らんでいった違和感も、その語り口にすべて受容され、自然と穏やかな気持のままページが終わった。
何とも不思議な心地の読後感である。
ヘールシャムで保護管が生徒たちに真実を刷り込む魔法に、どうやら私もかかっていたように思う。
詳しくは触れないが本書のタイトルにも関連する場面がある。
2つの意味で登場する「ロストコーナー」、ひとつは「忘れられた土地」ノーフォークという場所、もうひとつは「遺失物保管所」。
このことをかけて「イギリス中の遺失物はノーフォークの地に集められる」と、生徒たちの間で冗談となる。
これに絡んでキャシーの大切なカセットテープを巡っての話がある。
親友のトミーが「同じものだと思うか。つまりさ、君がなくしたやつそのものなのかな」とつぶやいた時、彼は本当に無くしたものそのものを探そうとしていたことを知り、この作品がより一層印象深いものとなった。
この作品は読む人によって印象に残るポイントが大きく異なるのではとふと思う。
映像作品について
この作品は映画化もされている。
寒い日の深夜に見たのだが、物語の世界観を淡々と映し出していく映像に見入ってしまった。また小説では脳内で映像化できなかった部分に気付かされたりと違った楽しみ方もできるなど見た甲斐のある作品だった。
2016年に綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみが主演を務める日本版のドラマも公開されている。
著者について
1954年11月8日長崎生まれ。1960年、五歳のとき、海洋学者の父親の仕事の関係でイギリスに渡り、以降、日本とイギリスのふたつの文化を背景に育つ。その後英国籍を取得した。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。一時はミュージシャンを目指していたが、やがてソーシャルワーカーとして働きながら執筆活動を開始。1982年の長篇デビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年発表の『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞した。1989年発表の第三長篇『日の名残り』では、イギリス文学の最高峰ブッカー賞に輝いている。その後、『充たされざる者』(1995)、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)(以上、すべてハヤカワepi文庫)を発表しそれぞれ高い評価を受けた。2005年に発表した本書は英米の各紙誌で絶賛され、世界的なベストセラーとなった。 — 本書より引用