『氷』 アンナ・カヴァン 【あらすじ・感想】
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『氷』のあらすじ
異常な寒波のなか、私は少女の家へと車を走らせた。地球規模の気候変動により、氷が全世界を覆いつくそうとしていた。やがて姿を消した少女を追って某国に潜入した私は、要塞のような“高い館”で絶対的な力を振るう長官と対峙するが…。迫り来る氷の壁、地上に蔓延する略奪と殺戮。恐ろしくも美しい終末のヴィジョンで、世界中に冷たい熱狂を引き起こした伝説的名作。 — 本書より引用
感想
読んでいる間、絶えずまとわりつくような不安に苛まれていた。「子どものように華奢なアイボリーホワイトの身体、ガラス繊維のようにきらめく髪」、美しき少女と、彼女に執着する主人公の男、この二人を中心に物語が進んでいく。
冒頭、男は彼女の元を訪れようとする場面、立ち寄ったガソリンスタンドで従業員が男に警告する。
「くれずれも用心してくださいよ、あの氷には!」 — 本書より引用
この警告が暗示したとおり、ゆったりとした導入から突如、物語は荒々しい不安に満ちた話へと展開していく。
描かれている世界は、我々が知る世界と酷似している。国々が争い、人間が生み出した科学技術は自然破壊を呼び、やがて人が住めぬ世界へと自らの手で突き進む終末思想が、そこでは現実のものとなろうとしている。そして、根拠は示さず、ただ世界が氷で覆われてしまうという予感が何度も連呼され、確定事項となっている。
違和感が常にある。その違和感は際限なく不安を増幅し息が詰まる。
この違和感は何だろうか?
よく知る世界が描かれているようで、随所でわずかにポイントをずらした描写が散りばめられているせいか。あるいはその文体のせいか。
文体の違和感については顕著である。少女の動向を追っていたと思ったら突然、男の動作が語られる。少女が現れた場面を繰り返され幻惑される。区切りなどはなく、それは唐突に起こる。
世界は滅びへと向かい、物語は消えた少女を男が探し求める無限ループとなる。
複雑に絡み合う出来事に翻弄されて少女を見失う。あるいは、諦めてしまう。
しかし、すべてのプロセスをすっ飛ばして再びチャンスが訪れ少女を探しに向かう。
以降、この不可思議なループは延々と繰り返され、独特な文体、描かれるその世界、展開それぞれに潜む違和感。それらからメッタ打ちにされる。
世界を追い詰める氷河、そしてその世界に存在する少女は、破滅的な美しさを放つ。このむせ返るような寒気に満ちた描写で窒息寸前へと追いやられる。
空気がまるで酸のような痛みをもたらした。氷の息吹、極地の息吹だ。皮膚を切り、肺を灼く、ほとんど呼吸もできないほどの寒気。 — 本書より引用
季節は存在することをやめ、永遠の寒気にその場を譲った。至るところに氷の壁がそそり立ち、雷鳴の轟きを響きわたらせ、なめらかに輝くこの世のものならぬ氷河の悪夢を現出させて、昼の光は氷山の放射する不気味な幻の光に飲み込まれてしまった。 — 本書より引用
読み終えた今、著しい緊張と不安からようやく解放され安堵している。
著者・訳者について
アンナ・カヴァン
イギリスの作家。1901年、フランスのカンヌ生まれ。ヘレン・ファーガソン名義で長篇数作を発表後、『アサイラム・ピース』(40)からアンナ・カヴァンと改名。不安定な精神状態を抱え、ヘロインを常用しながら、不穏な緊迫感に満ちた先鋭的作品を書き続ける。世界の終末を描いた傑作『氷』(67)で注目を集めたが、翌68年に死去。 — 本書より引用
山田 和子(やまだ かずこ、1951年-)は、日本のSF編集者・翻訳家・評論家。福岡県北九州市生まれ。慶應義塾大学独文科中退。「季刊NW-SF」の編集長としてJ・G・バラード等の紹介に努める。また、SF翻訳者、SFにおけるフェミニズムの論客としても活躍。長く科学技術関係の編集に携わり、この分野でも訳書がある。「NW-SF」時代に、創刊者の山野浩一から将棋を教わったところ、たちどころに上達。1977年に、女流アマ名人戦で優勝。70年代は、将棋の女流アマ強豪としても有名であった。 — 本書より引用