マークスの山 高村薫 ~あらすじと感想(ネタバレを含む)
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マークスの山 あらすじ
昭和51年南アルプスで播かれた犯罪の種は16年後、東京で連続殺人として開花した ―精神に〈暗い山〉を抱える殺人者マークスが跳ぶ。元組員、高級官僚、そしてまた…。謎の凶器で惨殺される被害者。バラバラの被害者を結ぶ糸は?マークスが握る秘密とは?捜査妨害の圧力に抗しながら、冷血の殺人者を追いつめる警視庁捜査第一課七係合田刑事らの活躍を圧倒的にリアルに描き切る本格的警察小説の誕生。 — 本書より引用
読書感想(※後半ネタバレを含む)
あらためて再読してみた
学生時代にはじめて『マークスの山』を手にしてから今回で3、4度目の再読である。
読んだ当時のことを振り返ると、合田雄一郎に感情移入しようと試み、警察機構の矛盾に腹を立て、破滅的に生を全うしてゆくマークスこと水沢裕之の存在感にただただ圧倒されていたように思う。
ただ、その中で合田が義兄と冬山に登ったことを思い起こす場面と北岳の山頂から富士山を眺めるシーンは当時から印象深く残っていた。
底雪崩の轟音が下ってくるのを聞きながら、ぼんやりと二人で坐ったまま動かず、〈俺たち死ぬぞ〉と笑っていたこともある。そのあと雪崩の暴風に吹き飛ばされて、互いの姿がしばしば見えなくなると、突然激しい憎しみが走り、次いで〈愛してる〉と思った。 — 浅野の遺書を読んだ後、合田の回想場面
合田は思い出した。この白峰三山の稜線に立つとき、東側に見えるのはいつも、どこまでも、空と光と、真正面に浮かぶ富士山頂の姿しかなかったことを。その手前にも背後にも、何もない。ここから望めるものは、日本一の富士一つだ。 — 裕之を追った北岳山頂での合田の心象場面
いずれにせよわたしの貧しい脳みそは、著者が緻密に張り巡らせた伏線をなぞり、ミステリとしてのカタルシスを得るに留まっていたように思う。なぜそう思うかといえば、今回再読し、これは「山と人間の話だ」ということに、あらためて気付かされたことによる。
最後に『マークスの山』に触れてから起こった個人的な変化といえば、山登りをするようになったことは影響したものの1つと言えそうだ。まだ月日は浅い素人であるが、暇を見つけてはさまざまな山を登って過ごすようになるとは、かつての自分からは想像もつかない。
登山中に思うこと
作品の感想とは関係ないが、もう少し個人的なメモを。 山を登っている最中に、わたしは多くのことを考える。というよりも「雑念が頭に浮かんでくる」という方が正しい。しかし、未熟なわたしの身体的限界を超えてなお足を運び続けていると、肉体的な疲労により、その思考がぼんやりとした状態になる。
おそらくは色々なことが脳裏に浮かび続けているのだとは思うが、あまりの苦しさに、それを意識的に捉えることができないだけなのだと思う。それをわたしは「思考が溶ける」と表現しており、ごくごく個人的なことではあるが、それがとても幸せに感じるのだ。
この物語に登場するマークスのメンバー、水沢、合田、地元の刑事たちは北岳の山頂を目指し登る。そして登る理由もまたさまざまである。そこにそれぞれの人生を重ねて『マークスの山』を読んだ、ということが個人的にとても大きい。
山を目指した人物でもっとも印象的だったのは
やはり「水沢裕之」である。彼は、幼いころに北岳の麓で両親が車中で一酸化炭素中毒による一家心中で死を遂げた際に、偶然にも車中へと出て一命をとりとめ、翌日救助されるまで暗い山中を体験する。一酸化炭素中毒とこの体験と母が持つ精神的病の影響からか、統合失調を患っている。
彼には三年周期で暗い山と明るい山が訪れる。暗い山に怯え、明るい山では躁状態となり、やがて彼は親身な理解者に出会いながらも連続殺人犯となる。
彼は幼い頃に両親と共に、北岳の麓で一家心中の生き残りとして救助された過去がある。偶然にも、このとき北岳の別の場所で起こっていた別の事件が、その後の彼の人生に大きく影響する。
のちに社会の一線で活躍する人物たちが、若気の至りというにはあまりにも救いがたい過ちを犯し、いくつもの偶然を経て水沢を凶悪事件へと駆り立てることとなる。
水沢は殺人という決して許されてはならない罪を犯している。しかし、彼が己の中に巣食う別人格と暗い山の姿に抗い、なんとか生きる希望を見出そうとする姿に同情の念を抱く。彼の無事を願わずにはいられなかった。
北岳に登り、山頂の向こうに見える世界を目指すことを彼が口にしたとき、結末はすでに気づいていた。それでも、どうか向こう側にたどり着いてほしい、生きてほしいと願わずにはいられないのだ。
連続殺人犯として指名手配を受け、身近であってくれた人物を危険に晒してしまい、彼が目指したのは幼少期置き去りにされたあの暗い山。北岳であった。
合田は眼窩にたまった雪を払い、明かりを当てた。角膜の微濁はまだない。散大した瞳孔は、触れると黒い氷だった。しばらく懐中電灯で照らし続けると、明かりの熱で凍った眼球が解け、水が一筋流れ落ちて頬の上でまた凍った。
水沢裕之の眼球は、雲海に浮かぶ富士山景をを真っ直ぐに見据えていた。その魂を犯し続けてきた〈マークス〉から逃れ逃れてここに辿り着き、真知子と一緒に、一晩待ちわびていた天井の夜明けが、もうそこまで来ていた。 — 北岳山頂で合田たちが水沢を発見したときの描写
この場面は、以前に読んだ時も記憶の片隅に残っていたのだが、今回は咽るほど胸が苦しくなった。一人の人間が山頂を目指したその理由と、実際にたどり着いたその姿に、ただただ胸を強く揺さぶられた。
北岳の麓で起きたこの物語の発端となった出来事は、個人的なことだが偶然にもわたしが生まれた年という設定である。
はじめて本作を読んだ時は、まさか自分が山登りをするなど想像すらしなかったが、少しずつ高い山も登れるようになってきた現在、この奇遇をなにかの縁であるとこじつけるのもそう悪い話ではないのではなかろうか。冬初めの北岳に、是非とも登ってみたいと強く思った。
小説版の聖地巡礼を目指して準備を始めよう。
文庫版も出版されているが、多少の改編により読後の印象が異なる。
余裕があれば、読み比べてみるのもかなり楽しめるのでおススメ。
映像作品について
『マークスの山』はテレビドラマおよび映画作品として映像化されている。それぞれ見ごたえのある作品に仕上がっている。
ドラマの方はAmazonプライム会員なら無料で見ることができるようだ。(※2018.05.13現在)
WOWOW制作によるもので、WOWOWは他の高村薫作品もドラマ化しており、一貫した雰囲気がとても好きだ。
映画作品は1995年と古いものとなるが、より原作に雰囲気が近いのはこちらの方か。ただし、デジタル映像化されていないのか、VHSでの販売しか見当たらないのが残念だ。
著者について
高村薫/著
タカムラ・カオル
わが国を代表する小説家、言論人。『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞して作家デビュー。『マークスの山』で直木賞を受賞、以降も数々の文学賞に輝いた。『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の長編三部作が注目を集め、殊に『新リア王』は、親鸞賞を受賞するなど、仏教界に衝撃を与えた。『神の火』『レディ・ジョーカー』『李歐』『冷血』など、著書多数。 — 本書より引用