『サバイバル登山家』 服部文祥 【あらすじ・感想】
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あらすじ
「生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある」ハットリ・ブンショウ。36歳。サバイバル登山家。フリークライミング、沢登り、山スキー、アルパインクライミングからヒマラヤの高所登山まで、オールラウンドに登山を追求してきた若き登山家は、いつしか登山道具を捨て、自分の身体能力だけを頼りに山をめざす。「生命体としてなまなましく生きたい」から、食料も燃料もテントも持たず、ケモノのように一人で奥深い山へと分け入る。南アルプスや日高山脈では岩魚や山菜で食いつなぎ、冬の黒部では豪雪と格闘し、大自然のなかで生き残る手応えをつかんでいく。「自然に対してフェアに」という真摯な登山思想と、ユニークな山行記が躍動する。鮮烈な山岳ノンフィクション。 — 本書より引用
感想
表紙の男は川魚を両手でつかみ、歯で皮を剥がしているところであり、そして鋭い眼光でこちらを見ている。本のタイトルとこの表紙からかなり野性的な香りが強く漂ってくる。
しかし、中を見てみると表紙のイメージとは打って変わって何とも繊細な文章が綴られている。一瞬にして私は彼の虜になってしまった。
本書を知るキッカケ
昨年から登山にハマり山岳雑誌で本書が紹介されているのを目にした。高機能化する登山道具に身を包んでの山行に疑問を抱きサバイバル登山を試みる人として紹介されていた。
登山道具店に行くとそこには高価で高機能なウェアや道具がズラリと並んでいる。高度に進化した登山道具は見方を変えれば自分の身体を自然から遮断するものであり、これらで完全装備をして楽しむ自然とは何かという疑問はある。
命の安全のために必要なものは別として、実際に安い道具から高価なものへ買い換えるとかなり登山が快適なものへと変わることを実感する。高価な道具は快適さを買うような部分というのは確かにあるのだ。
なんとなくモヤモヤと私の中にあった疑問を解消する答えが本書にはあるのではないか、そんな思いから本書を手にとってみた。
本書の内容について
とにかく読ませる文章である。
内容としては著者の幼少時代から登山へと気持ちが向かっていく頃の話から大自然へとその身1つで挑むサバイバル登山の様子が丁寧に綴られている。
おそらく著者自身が挑んだ「サバイバル登山」の真意をできるだけ正しく伝えたいという思いからであろう、気弱な気持ちや迷いなど著者の弱い部分についても存分に書かれており、それゆえに自然と対峙する一人の人間の姿がくっきりと浮かび上がり、ただの山行記録とはならず真っ直ぐにこちらの心に伝わってくる。
「生命体としてなまなましく生きたい」と言う著者は、自身を精一杯生きるとともに「命」に関してとても敏感である。そこが著者の考えや行動の根源的な部分であると感じる。
装備を最大限減らし可能な限り身1つな状態で山へと足を運ぶことを自然に対するフェアであることと捉える著者の山との向き合い方は私にとって学びの多い話であった。
いろいろと登山家の本を手に取るとすでに遭難などで命を落とされていることがあり何とも言えない気持ちになる。
著者は存命でいまなお現役であり山岳雑誌「岳人」の編集人の欄に名前があるのを確認することができる。
厳しい山行を行ってきていても、存命であるという事実が素晴らしい。他の作品も読んでみようと思う。
著者について
服部文祥
1969年横浜生まれ。1994年東京都立大学フランス文学科とワンダーフォーゲル部卒。1996年から山岳雑誌「岳人」編集部に参加。旧姓、村田文祥。妻と三人の子供と横浜在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) — 本書より引用
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