『ロスト・ケア』 葉真中顕 【あらすじ・感想】
初稿:
更新:
- 14 min read -
あらすじ
戦後犯罪史に残る凶悪犯へ下された死刑判決。その報を知ったとき、正義を信じる検察官・大友の耳の奥に響く痛ましい叫び
――悔い改めろ!介護現場に溢れる悲鳴、社会システムがもたらす歪み、善悪の意味……。現代を生きる誰しもが逃れられないテーマに、圧倒的リアリティと緻密な構成力で迫る! 全選考委員絶賛のもと放たれた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 現代の日本を象徴する高齢化社会とはどんなものであるかをさまざまな視点で浮き彫りにする。
- 人類が生み出した法・社会・倫理を根底から覆すような重度介護者を狙い撃ちにする連続殺人を前に我々はあまりにも無能であり無力である。
- お、お前だったんかいー!? と驚きの結末。
己を映す鏡のような小説を書く人「葉真中顕」
本作は以前読んだ『絶叫』という作品の著者、葉真中顕氏の処女作である。
あらすじ 涙、感動、驚き、どんな言葉も足りない。貧困、ジェンダー、無縁社会、ブラック企業…。見えざる棄民を抉る社会派小説として、保険金殺人のからくり、孤独死の謎…。驚愕のトリックが圧巻の本格ミステリーとして、平凡なひとりの女が社会の暗部に足を踏み入れ生き抜く。凄まじい人生ドラマ。
絶叫もそうであったが、日本の現代社会を色濃く反映した作品を書かれる方だという印象。そして登場する人物もどこにでもいる、と感じることができる人々であり、あるいは自分かもしれないと錯覚する。
そして、とてつもなく重たく目をそむけたくなるような現実を物語として展開し、大きくうろたえることになる。
高齢化社会と呼ばれる社会にある現実
家族を支えてきた存在である「親」が、高齢化し介護を要することで家族を破壊する存在となる。私はまだ経験がない状況ではあるが、誰しも経験する可能性はある。たとえ自分に親がいなくとも、結婚する相手の両親がその対象となるかもしれない。
その状況下では法や倫理というものはひどく脆弱に見えてくる。
介護の世界に身を置けば、誰でも実感する。この世には死が救いになるということは間違いなくある。 — 本書より引用
介護の仕事に携わる「斯波」という青年が物語の序盤で語る内容だ。
この国の介護保険と民間の介護ビジネスの実態を詳細に説明するくだりがある。
それは「介護」という言葉の意味からは程遠い内容であり、システムとして機能不全であるとしている。
30を過ぎて総白髪で老人のような風貌をした斯波という青年は自身も父を介護した経験があり、その頃の状況をこう表現した。
この社会には穴が空いている — 本書より引用
この国で介護が発生する状況を迎えることは、つまり「一巻の終わり」であるというのだ。
彼と対比するような立ち位置で登場するのが検事の職を持つ大友という青年だ。
彼の父親は億単位の料金がかかる高級老人ホームに入っている。
介護ビジネスの企業が介護保険料の不正スキャンダルで世論が騒ぎになっても、そもそも介護保険を必要とせず実費でサービスを受けている高級ホームはなんら影響ない安全地帯だ。
大友はなぜ人を殺してはいけないのか問う子どもに対してはこんな正論を抱いている。
善性は君の中にもある。なぜなら、そうでなければ『なぜ人を殺してはいけないのか?』という問いは立てられないからだ」 — 本書より引用
至極正論だ、と思えるのだが、ある意味、彼も父と同様にこの社会における安全地帯にいるからこんな正論を吐けるのだ、と思い知るような事件が本作で起きる連続殺人である。
重介護者の死は救いか?
ある地方都市で、月に1回ほどのペースの殺人が40件以上も起こっていることが発覚する。 被害者はいずれも痴呆症を患っているなど、家族への負担が重たい重度の要介護者だ。
いずれも自然死を装った殺害方法が用いられており、司法解剖をほとんど行わないこの国の司法制度の隙間をつくような巧妙な手口で事件性なしとして処理されていたが、大友とその部下により偶然にも発覚することとなる。
この事件発覚は、大友にとって、そして読み手にとってもパンドラの箱である。 被害者遺族のなかには、何年も苦しんだ介護生活から偶然にも救われることとなり、加害者への怒りを抱くことができなかったものもいる。
日本で40人もの殺害となれば死刑となる。 戦後史上最大の連続殺人である。 しかし、この物語において、この大量殺人は異なる意味において重たい事件である。
つまり、そんなに大勢を殺害して許せん!とすんなり思うことはできない点、そここそが問題なのだ。
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。 — 本書より引用
すべての法と倫理に通じる根本原則、ゴールデンルール、黄金律。イエスがガリラヤ湖畔の山上で人々に語ったとされる言葉の一部。
物語の冒頭で、大友の父が高級老人ホームを見学した際にホームの入り口で目にしたこの一説を説明する場面があった。
自分の人生だけでなく、なかには子どもにも影響がでるほど苦しい介護生活。介護を受ける側だって楽なことはない。誰もが極度の苦しみのなかにいるが、救いはない。
いっそ、介護対象となる親を殺してしまいたいと思うこともあるが、できない。
そんな状況を人知れず、代わりに実行してくれていた者がいた。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
この展開に悶絶する。私は、激しくした。
そして正義に燃える男、大友検事もその身を炎で焼かれるほどに苦しむこととなる。
正しい者は一人もいない。楽園ではないこの世界で生きる者は、一人残らず罪人だ。
――悔い改めろ! — 本書より引用
ミステリ作品としても秀逸な展開
本作では犯人が<彼>と三人称で冒頭から登場している。 しているのだが、満を持して<彼>の正体が明らかになる場面では驚かされる。
こういった展開は『絶叫』でもあったなと思いつつも、重たい現実に打ちのめされてたどり着いた終盤でとどめの一撃として十二分に過ぎるものだった。
介護に光はないのだろうか?
まったく真っ暗闇しかないような物語であるが、かすかな光はある。
たとえ年老いて身体機能が衰え自立できなくなっても、たとえ認知症で自我が引き裂かれても、人間は人間なのだと。ときに喜び、ときに悲しみ、幸福と不幸の間を行き来する人間なのだと。 — 本書より引用
斯波青年の父が亡くなる少し前に彼が抱いた思いである。
苦しみしかないような介護生活のなかで、痴呆でかつての姿をうしなってしまった父のなかに人間とは何かの答えを見出したようでもある。
そういえば、安楽死の是非をテーマにした帚木蓬生氏の「安楽病棟」という作品でも、この感覚はあった。
『安楽病棟』帚木蓬生 ~安楽死を問う作品~【読書感想・あらすじ】
あらすじ・深夜、引き出しに排尿する男性、お地蔵さんの帽子と前垂れを縫い続ける女性、気をつけの姿勢で寝る元近衛兵の男性、異食症で五百円硬貨がお腹に入ったままの女性、自分を23歳の独身だと思い込む女性…様々な症状の老人が暮らす痴呆病棟で起きた、相次ぐ患者の急死。理想の介護を実践する新任看護婦が気づいた衝
何もわからなくなってしまった老人たちの手のぬくもりや、かすかな反応から、人間としての温かさを感じ取る看護師の女性を通じ、人間という生き物とはなにかを教えてくれる作品だ。
誰もが人の子である以上は避けられない現実であり、私個人にとってもそう遠くない未来に訪れるかもしれない。
答えはまだわからないが、「死」以外に道はあるのだと信じたいし見つけ出したいと強く思う。
著者について
葉真中顕(はまなか・あき)
1976年東京生まれ。2009年、児童向け小説『ライバル』で角川学芸児童文学賞優秀賞受賞。‘11年より「週刊少年サンデー」連載漫画『犬部! ボクらのしっぽ戦記』にてシナリオ協力。‘12年『ロスト・ケア』にて第16回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、デビュー。刊行時から大きな反響を呼ぶ。続く受賞後第一作『絶叫』も「週刊文春ミステリーベスト10 2014年版」(文藝春秋)、「このミステリーがすごい! 2015年版」(宝島社)などにランキング入りし、話題となる。 — 本書より引用