『ワイルド・ソウル』垣根涼介【あらすじ・感想】
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『ワイルド・ソウル』あらすじ
その地に着いた時から、地獄が始まった ――。1961年、日本政府の募集でブラジルに渡った衛藤。だが入植地は密林で、移民らは病で次々と命を落とした。絶望と貧困の長い放浪生活の末、身を立てた衛藤はかつての入植地に戻る。そこには仲間の幼い息子、ケイが一人残されていた。そして現代の東京。ケイと仲間たちは、政府の裏切りへの復讐計画を実行に移す! 歴史の闇を暴く傑作小説。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 戦後日本が推し進めた南米への移民政策。未開のジャングルで多くの命が失われた、実際の史実をもとにしたハードボイルドストーリー。
- 南米出身の日系人がなぜ多いか。その歴史的背景をリアリティ溢れる描写で表現し、多くの学びを得ることができる作品でもある。
- 重々しい過去の遺恨、国家社会と人間といった重厚なテーマと、爽快で痺れるハードボイルドテイスト満載の復讐劇が見事に融合している。読み応えある長編作。
物語の背景〜戦後日本の移民政策
1960年代に日本国政府・外務省が行った南米への移民政策がある。
これはさまざまな文献があり歴史的事実として語られてきたもの。
おれたちは棄てられた民だ。そもそもこのアマゾンへの移民事業自体が、戦後の食糧難時代に端を発した口減らし政策だったのだ。 — 本書より引用
先の大戦後、食糧難に直面した日本国政府は嘘で塗り固めた宣伝文句をうたい、多くの国民を南米の地へと送り込んだ。
日本全国から集められた42,500人もの人々が海を渡りブラジルにたどり着いたが、そこは未開のジャングル奥地であり、文字通り陸の孤島。入植者たちは連絡・交通手段を絶たれ、原始人さながら飢えをしのぐだけで精いっぱいの暮らしを送ることになった。
冒頭のこの話は「エトウ」という、妻と弟を連れ入植した男の物語として語られる。
棄民(きみん、abandoned people)とは、政府によって切り捨てられた(元)自国民を指す語。 — 棄民 - Wikipedia より引用
エトウたちは棄民だった。
そして地元のブラジル人から彼らは「アマゾン牢人」と呼ばれた。
領事館へ駆け込み陳情しても無視され、祖国からの送金は関係団体によって横領された。栄養不足の体はマラリアなど疫病の餌食となり彼は妻と弟、そして多くの仲間を失った。
半世紀ほど前に多くの同胞を葬ったこの歴史を私は知らなかった。正確に言えば、なんとなく知ってはいたが、詳しく知ろうとはしてこなかった。
そのことを深く後悔している。この物語の序章は、ノンフィクションでありながら、それだけ重い厳然たる歴史的事実を読み手の眼前に突き付けてくる迫力と、強い説得力があった。
一転して繰り広げられるハードボイルドな世界、「ケイ」という男
エトウは入植地を脱出し各地を流れながら仕事の目処をつけ、時を経て再び入植地を訪れ、無人の集落で野生児のように暮らす子どもを見つけた。
アマゾンでの話はエグチがその子を引き取り育てるところまでで終わる。 一転して物語は現代の東京へとその舞台を移す。
ここからは40年の時を経て立ち上がった、かつての棄民たちによる復讐劇が繰り広げられる。 仕掛け人はノグチだが高齢で病を患う彼に変わってことを進めるのは、ジャングルで拾った「ケイ」だ。
作品を通じもっとも際立つ個性を発しているのは彼であろう。 だが幾人かの視点で進んでいく本作において、彼の視点によるは場面は極めて少ない。
育ての親であるエグチ、幼少期の唯一の親友松尾、テレビの女性記者貴子、彼らの見つめる先には常にケイがおり、圧倒的な存在感で彼らをふりまわす。
彼の本名は「ノグチ・カルロス・ケイイチ」という。
エグチたちの入植地「クロノイテ」生まれの日系二世。 大人になった彼は、おそらく容貌はわたしたち日本人とそう変わらないのかもしれない。だが中身はまったくと言っていいほど違う。底抜けに明るく楽天的であり、神も悪魔も己の命でさえも笑い飛ばす。
ラテンの雰囲気を身にまとう彼は、はじめて訪れた東京の人間たちをこう評する。
おれの国じゃあ、金のないやつはないなりだ。服装も住む家もそうだ。それでけっこう笑って暮らしている
だがこの国の連中ときたら、どいつもこいつも飾り立て、少しでも自分をよく見せようと躍起になっている。それがまあ、貧乏臭い — 本書より引用
日本に限ったことではないが、西洋社会の文化を大きく取り入れた国でよく見られる光景であろう。
ケイと関わる登場人物
ケイと共に事件を引き起こす「松尾」「山本」という人物。 山本はエグチと同様にブラジルで地獄の日々を送った過去がある。
そしてこの計画に関わる強い理由を持ち合わせていた。
松尾はクロノイテでケイと幼少期を過ごす。だがコロンビアに向け一家で脱出を試みたとき、盗賊に襲われ両親を殺される。
彼を拾ったのはコロンビアマフィアのドン。日本でのビジネスを見据え松尾を一人前の裏社会で生きる男へと育て上げる。
松尾は本作のハードボイルド的要素を色濃くする人物でもある。
「貴子」という元アナウンサー現報道ディレクターの女性は、ケイと運命的な出会いにより復讐劇の鍵を握ることになる。
彼女の存在は、物語の幅を広げる重要な役割を果たしている。
血を流さない復讐劇、不毛を繰り返す人間
この復讐劇において、直接的な「殺人」はなかった。そしてかつて外務省主導で日本政府が推進した移民政策もまたしかり。
すべてが終わったあと、貴子はこう思いを巡らせる。
巨悪の芽は、常に大きな社会のうねりの中にある。否応なく無自覚な人々を巻き込んでいく。加害者と被害者の立場に仕立て上げていく。 — 本書より引用
これは四十年越しの復讐を産んだ火種の本質であろう。
そしてこの類の悲劇は過去の歴史のそこかしこにあり、現在も、そしてこの先も止むことはないのかもしれない。
命とは、生き方を指している。 — 本書より引用
松尾は命がかかった高速の中でそのことに気づく場面がある。
本書のタイトルは「ワイルド・ソウル」。
本来の魂を失った人間は巨悪のうねりに落ち、野生の魂をその身に宿す者たちがそれを正す。
人類はこれを繰り返し進んでいく生き物だと考えさせられた。
余談〜個人的な日系人の思い出
学生の頃、運送会社の倉庫の荷物を仕分けするアルバイトをしていた。
深夜に大量に荷物を捌かなければならないその仕事で、頼りになるのは強靭な肉体を持つペルーからの労働者たちだった。
その中には私にとって馴染みある名前の者もおり、おそらくは日系二世または三世であろう。
ちょうどその頃、ペルーの駐日大使館人質事件が発生していた。
早朝の送迎バスのテレビで無事に人質が救出されたと一報が流れた。
その直後、バスに乗っていたペルー人たちは「ウオーッ!!」と一斉に喝采を叫んだ。
私に向かって「本当に良かった」と手を差しだす者もあり、多くのゴツゴツとした大きな手をギュッと握手をした。
その中には日系人と思われる彼らの姿もあった。
この作品を読み、色々と調べているうちにこの記憶が蘇った。
彼らが私と同じような顔立ちと名前を持つ理由を深く考えたことは無かった。
しかしキッカケを得た以上、知らぬままでいていい理由はないと、今は考えている。
著者について
垣根涼介
Kakine Ryosuke
1966(昭和41)年長崎県伊勢綾市生れ。筑波大学卒業。2000(平成12)年『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞。’04年『ワイルド・ソウル』で、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞と、史上初の3冠受賞に輝く。翌’05年、『きみたちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞。そのほかの著書に『ヒート アイランド』『ギャングスタ―・レッスン』『サウダージ』『クレイジーヘヴン』『ゆりかごで眠れ』『真夏の島に咲く花は』『借金取りの王子』などがある。 — 本書より引用