『無痛』 久坂部羊 【あらすじ・感想】
初稿:
更新:
- 11 min read -
あらすじ
神戸の住宅地での一家四人殺害事件。惨たらしい現場から犯人の人格障害の疑いは濃厚だった。凶器のハンマー、Sサイズの帽子、LLの靴跡他、遺留品は多かったが、警察は犯人像を絞れない。八カ月後、精神障害児童施設の十四歳の少女が自分が犯人だと告白した、が……。外見だけで症状が完璧にわかる驚異の医師・為頼が連続殺人鬼を追いつめる。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 刑法第39条や先天性無痛症など現実にリンクする要素と、医学的知見に基づいた観察により犯罪を予見する医師というフィクションによる医療ミステリ長編。
- 一家殺人、通り魔、ストーカー、誘拐、人体解剖、人体実験、無認可治験など、これでもかと言わんばかりに詰め込まれた現代を表す犯罪の数々が生々しく描写されている。
- フィクションという手法で、社会を守る刑法や医療の矛盾を突く実験的なストーリーでもある。
おもな登場人物
- 為頼英介
- 鋭い診断能力により患者の予後のみならず犯罪因子も予見する町医者。
- 高島菜見子
- 精神障害児童施設「六甲サナトリウム」の副施設長。息子の祐輔と暮らす。元伊丹あすなろ園職員。
- 南サトミ
- 六甲サナトリウムの入所者。境界型人格障害を抱える14歳。個性的なキャラクターだがストーリーにおける埋没感が否めない。
- 白神陽児
- 白神メディカルセンター院長。枠にとらわれない手法で医療の発展を目指すその一方で違法な試みを推し進める。やってることはマッドサイエンティストだが何とも掴みどころがない。
- 早瀬順一郎
- 灘署刑事。一家殺人事件の担当刑事であり刑法第39条に強いこだわりを持つ。ページを割いている割に警察の印象は全般的に希薄。
- 仁川康男
- 兵庫県警捜査一課警視 元刑事部調査官で早瀬の上司。重要なことを語るがほとんど出てこない。
- 伊原忠輝
- 通称「イバラ」。先天性尖頭症、無痛症、無毛症。白神メディカルセンターの器材管理職員。伊丹あすなろ園出身。作品設定上、重要人物のはずだがサトミ同様、後半にかけてその存在が持て余し気味になる。
- 佐田要造
- 菜見子の前夫。広江を利用し菜見子にストーカー行為を繰り返す。この人物の壊れっぷりは謎に力が入っている。
- 熱田広江
- 六甲サナトリウム職員。菜見子に悪感情を抱き佐田に協力する。
「痛み」について
いくつかのテーマが複合的に絡み合った作品であるが、もっとも興味を引いたのは「痛覚」に関する部分だった。
一言で「痛み」と言っても、生物が進化の過程で獲得した身体的な器官のほかに、人間のように脳が発達した生物固有の「精神的な痛み」というものもある。
身体的な部分で痛覚は、肉体的な限界を超えてしまわないようリミッターとして機能する一方、病にかかるとひたすらに苦しみを味わう原因ともなる。
物語に登場する「イバラ」という人物は先天性の無痛症である。
これは実際にある症例で無汗症と併せて生じることが多いという。
そして「白神陽児」という人物。
患者の痛みを完全に取り除くことが医療における重要な使命とし、枠にとらわれない方法で先進的な医療を推し進める。
イバラを障害者雇用で病院機材の管理担当者として雇い、無痛を実現する研究材料に用いる。
この二人は物語における対極に位置しているように思える。
無痛をは医学的に正であるとして取り組む白神と、無痛であるがゆえ残忍な犯罪を意に介さず行うことができてしまうイバラといった具合だ。
これらの比較から、痛みに関する何かしらの意義的なものが見いだせる話だと勝手に期待して読み進めたのだが、そうはいかなかった。
「犯因症」という架空の設定
この物語には「為頼英介」という主人公がおり、彼は医学的知見にもとづき鋭い観察を行うことで、患者の予後のみならず、犯罪の因子を見抜く能力がある。(作品では「犯因症」という架空の名称を用いている)
つまりは犯罪にも先天性要因があるとする設定があり、為頼はそれを見抜く。
そしてイバラにも「犯因症」が現れていると診断する。
イバラが事件を起こすのは犯因症が原因であるとするならば、「無痛症関係なくなっちゃった」ではなかろうか。
さらに個人的につらい展開としては、「患者の痛みゼッタイ無くすマン」の白神だ。
違法な新薬研究など危ない橋を渡りイケイケのマッドサイエンティストと思いきや、イバラを利用して事件を起こしたのは弟を裏切った女への復讐だったことがわかり、さらによそから引き抜いた事務長に横領&暴露され逃亡する。
もう「無痛」とかまったく関係ないマンだった。
刑法第39条
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。 — 本書より引用
一家四人殺人事件を捜査する「早瀬順一郎」という刑事は39条がはらむ問題に強い執着心を抱えており、頻繁にこのワードが登場する。
39条を被害者・加害者の両面から描写するなど、何かしらの問題提起がなされるのかと思いきや、これも無痛同様にどっかいってしまう。
イバラは白神に薬でコントロールされているが、設定上「犯因症」があるとされ自覚的に事件も起こしてしまう。
つまりなぜか登場人物として39条の対象となる人物がいないので、話しとしてどこにもたどり着かない驚きの展開だった。
まとめ
医師の為頼と刑事の早瀬が激しくやりとりする場面などを通じ、現代医療や刑法における矛盾や問題点を指摘する場面などから、現役医師である著者のメッセージを感じる。
だが、無痛症、39条など興味深いテーマを用いながらも全体的にまとまりがつかず、落としどころがないまま埋もれてしまった感がある。
文句ばかりつけるような内容になってしまったが、これはひとえに私個人の身勝手な大きな期待の裏返しかつ読解力不足によるものと理解はしている。
理解はしているのだがこのもやもや感を解消するために続編である『第五番』は是非とも読んでみようと思う。
著者について
久坂部羊 Kusakabe Yo
大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。作家・医師。二〇〇三年、小説『廃用身』(幻冬舎文庫)でデビュー。他の著書にベストセラーとなった小説『破裂』(幻冬舎文庫、上下巻)や、エッセイ『大学病院のウラは墓場』『日本人の死に時』(以上、幻冬舎新書)がある。 — 本書より引用