『うたかたの日々』 ボリス・ヴィアン 【あらすじ・感想】
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『うたかたの日々』のあらすじ
小さなバラ色の雲が空から降りてきて、シナモン・シュガーの香りで二人を包み込む……ボーイ・ミーツ・ガールのときめき。夢多き青年コランと、美しくも繊細な少女クロエに与えられた幸福。だがそれも束の間だった。結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取りつかれていたのだ――パリの片隅ではかない青春の日々を送る若者たちの姿を優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、「現代でもっとも悲痛な恋愛小説」。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 日常の端々に不思議がころがる幻想的な世界観で繰り広げられるパリの若者たちの青春物語。
- 青春時代の儚く切ない無力感や、悲しい恋の行方に胸を打たれる。
- 作品の本体は表現手法にあるのかもしれない。常識や固定観念を破壊し尽くすような文章が素晴らしくこの上ない解放感を味わうことができる。
どこか懐かしさを感じる幻想的な世界感
パリの若者たちが繰り広げる恋物語という予備知識のみで読み始めたのだが、すぐに様子がおかしいと気づく。
演奏した音楽に合わせカクテルが自動的に作られ、医者は片手に歯ブラシを持って診察し、精神状態に合わせてパスポートの年齢は上下に揺れ動き、ケーキの中から欲しいものが飛び出し。そして29歳は老人だという。
これは「Don’t think feel」の心構えで望まなければならないことを私はすぐさま理解した。思考は余計である。
思考の回転を止め、文章に身をゆだねてみる。子どもの頃、身の回りのあちらこちらに小さな空想の産物を見つけたりした思い出はないだろうか。いずれも他愛ない妄想である。それらが次々と目の前に飛び込んでくる。作品に広がるこの幻想的な世界はとどまることを知らない。
既成概念を破壊する自由な文体
若者たちの悲しい恋の行方を描いたストーリーは非常に魅力的である。大切なものを守る力も経験もない、青春時代の無力感には大きく心を揺さぶられる。
だがそれ以上に印象深いのが作品の表現手法である。一切のルールにとらわれることなく既成概念をブチ壊すかのような文章によりこの物語は語られる。それはまるでジャズの即興演奏や次々に書き連ねられた自由律の詩歌のようである。
「これはパンクだ」とはじめに思ったのだが何かに逆らうというのとはちょと違う。「初めから真に自由な状態」というものがあるとするならば、まさにこの作品こそ相応しいのではないかと思う。
こんな作品があっていいのだろうか。これほど人は自由に表現しても許されるのだろうか。脳ミソの奥を激しく揺さぶり、心地よい解放感に浸ることができる稀有な作品だった。
その他メモ
- 最初の翻訳タイトルは「日々の泡」。原題の訳も意味としてはこちらが近いと思うが「うたかた」は漢字で描くと「泡沫」。つまり意味としてはどちらも同じようなものか。
- シックが傾倒している「パルトル」は、「ジャン・ポール=サルトル」がモデルのようだ。「嘔吐の百科事典」なるものが登場する。
- アリーズがシックのために罪を犯す際に使った「心臓抜き」がタイトルの作品がある。
- ボリス・ヴィアンはかなりイケメン。
著者について
ボリス・ヴィアン
パリ郊外生まれ。39歳の若さで死ぬまで、作家、詩人、画家、劇作家、俳優、歌手、ジャズ・トランぺッターなど20以上もの分野で旺盛な活躍を見せたマルチ・アーティスト。アメリカのハードボイルド小説、SF、ジャズを愛し、母国への紹介につとめ、同時に多大な影響もうけた。
だが、文学者として名声を得るのは死後数年してからのことであった。ヴィアンが”サン=ジェルマン=デ=プレのプリンス”として君臨した時代から見守ってくれたサルトルやボーヴォワール、コクトーといった作家たちの指示によって、60年代後半のフランスは爆発的なヴィアン・ブームに沸いたのである。すべてのルールと理論を拒否し、自由自在な言語表現に徹した彼の文学は、若い世代を中心に現代も広く読まれている。著書に『心臓抜き』(ハヤカワepi文庫)、『墓に唾をかけろ』など多数。 — 本書より引用
訳者について
伊藤守男
1932年生、東京外国語大学ロシア語学科卒、フランス文学翻訳家
訳書『赤い草』『墓に唾をかけろ』『ヴェルコカンとプランクトン』ボリス・ヴィアン(以上早川書房刊)他多数 — 本書より引用
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