『脳男』 首藤瓜於 ~殺人因子による自我獲得を描いた問題作~【あらすじ・感想】
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あらすじ
連続爆弾犯のアジトで見つかった、心を持たない男・鈴木一郎。逮捕後、新たな爆弾の在処を警察に告げた、この男は共犯者なのか。男の精神鑑定を担当する医師・鷲谷真梨子は、彼の本性を探ろうとするが……。そして、男が入院する病院に爆弾が仕掛けられた。全選考委員が絶賛した超絶の江戸川乱歩賞受賞作。 — 本書より引用
読書感想
読みどころ
- 目的不明の連続爆破事件、感情を持たない男の隠された過去、人間の自我に迫る医学の世界。刑事、殺人者、精神科医が交錯する読み応えあるミステリ。
- フィクションという手法により、感情の完全欠落状態から「殺人」という因子により自我獲得をした人間を描く試みは、自我とは意識とは何であるかの謎に深く斬り込む展開を見せる。
再読してみた
愛用している「読書メーター」で本書を読んだ方の感想を偶然目にした。ずいぶんと前のことだが読んだ記憶はあるものの、まったくと言っていいほど内容を思い出すことができなかった。
一度見たものを完全に記憶する能力を持つ男が登場する話だが、わたしは一度見たものを完全に忘却する能力を持っている。
自慢にもならない話だが、あまりに悔しいのでこのたび再読を試みた。
登場人物
主要人物
- 鈴木一郎(入陶大威)…連続爆破事件の容疑者として逮捕される。名前、経歴すべてが謎の人物。
- 鷲谷真梨子…愛和会愛宕医療センター勤務の精神科医。鈴木一郎の精神鑑定を担当する。
- 茶屋…連続爆破事件の捜査を担う刑事。
警察
- 黒田雄高…鑑識課長。爆発物の分析に強みを持ち、茶屋をサポートする。
愛和会愛宕医療センター
- 曲輪喜十郎…愛和会愛宕医療センターの院長
- 苫米地…精神科部長。鷲谷真梨子の上司。
- 空身…CT室責任者。神経化学専門の医学博士。コンピュータの扱いに長け、鷲谷真梨子に協力する。
鈴木一郎(入陶大威)の過去に関係する人物
- 入陶倫行…資産家。大威の祖父にあたる。
- 氷室友賢…入陶倫行の友人。倫行の死後、大威を預かる。
- 藍澤…山篠薬科総合研究所の職員。大威の幼少期に自閉症研究者として診察をした。
- 伊能…登山家。大威の運動面をサポートするため入陶家に雇われた。
連続爆破事件の関係者
- 緑川紀尚…独身の会社員。連続爆破事件の犯人。
- 金城理詞子…テレビタレント。二件目の事件のターゲットとなったが生存。
- 灰谷六郎…大物政治家。三件目の事件のターゲットとなり死亡。
- 緋紋家耕三…金融業を営む経営者。五件目のターゲットであったが鈴木一郎により被害を免れる。
連続爆破事件のターゲット
- 一件目…七星建設愛宕市支社最上階(40階)。死亡者なし。
- 二件目…金城理詞子邸。死亡者なし。
- 三件目…市立病院に止まっていた救急車。搬送中の灰谷六郎が死亡。
- 四件目…裁判所合同庁舎の敷地内。4人死亡、8人重軽傷、軽傷者30人以上。
- 五件目…緋紋家耕三の自宅兼社屋ビル屋上。未遂。
ミステリとしてのストーリー
本書『脳男』は2000年に出版された作品だ。物語の時間設定もおそらくはこの時代であり、架空の愛宕市(おたぎし)という町での話となっている。(名古屋市がモデル?)
愛宕市で連続爆破事件が発生し、刑事である「茶屋」たちは容疑者を絞り込み、ついにアジトに踏み込むと、そこには取っ組み合う二人の男がいた。容疑者として追っていた「緑川紀尚」は逃亡、緑川と争っていた謎の男「鈴木一郎」を、共犯者として逮捕する。
五件目となる爆破対象を警察に示唆するものの、一切を黙秘し、名前が偽名と判明した鈴木は精神鑑定にかけられる。鑑定を担当する「鷲谷真梨子」は、彼が人間の感情を理解できない兆候を掴む。
容疑者として釈然としない思いを抱える鷲谷と茶屋は協力しあい、鈴木一郎の正体に迫ろうと調査を開始する。
鈴木一郎の謎解き、逃亡していた緑川の逆襲など、ミステリとして十分に楽しめるストーリーが本編を貫いているが、この作品がただのミステリにとどまらない深みがある。要因は、『脳男』という部分にある。
自我に対する問い
鷲谷は精神鑑定のなかで、鈴木に背を向け(つまり表情を見せずに)2種類の演技をしてみせた。ひとつは悲しみに暮れた声で「馬鹿」を含むセリフを、もうひとつは皮肉を込めて「馬鹿」を含むセリフを放つ。
視覚情報を得られない鈴木は、聴覚情報として得られた「馬鹿」という単語から、鷲谷が「怒っている」と答える。鈴木一郎は「情動」を理解できないのだ。そしてこの一点により、物語は俄然、面白味を増してくる。
鷲谷は鈴木の過去を探ろうと試み、彼の幼少期を診察した「藍澤」という男にたどりつく。藍澤は当時の彼の様子をこう説明している。
彼は周囲のあらゆるデータを瞬時にとりこみ、記憶することができた。しかし、インプットされたデータは脈絡もなければ前後の区別さえなく、索引も分類基準もつけずに何万冊もの書物が放り込まれた巨大な図書館か、さもなければ途方もない演算能力をもっているにもかかわらず演算の目的がプログラムされていないコンピュータ 〜中略〜 それがおそらく世界中のどの人間よりも豊富なデータバンクをもちながら、他人から指示されなければ排泄も食事もできなかったことの唯一の説明だ。彼はいわば脳だけの存在で、手足がないのも同然だったのだ — 本書より引用
生まれてから一切の反応を見せないことから自閉症が疑われ診察を受けた鈴木は、いわゆる「映像記憶」という優れた能力を持つ一方、人間の情動を示す一切の反応を持たない子どもだった。
感情表出が苦手などというレベルではなく、感情そのものを持たない。ゆえに他者の感情も理解できない。「自我が存在しない人間」という話だ。
鈴木一郎という人物の探求は、爆破事件をすっかり忘れてしまうほどの吸引力を持っている。
鷲谷は感情表出障害研究の第一人者で医学生時代の親友に相談を持ちかける。この親友の話がまた興味深い。
原子がばらばらにならないためにはつねにある力が働いている必要があるということよ。人間の場合なら、わたしという自我をひとつにまとめている力が感情だと言えるわ。 — 本書より引用
わたしはこう考えているの。感情表出障害の人たちが約束やルールというものを過度に偏重するのは、彼らには自我をまとめあげるはずの感情の力が弱いための補償作用ではないか、と。 — 本書より引用
感情がほぼ完全に欠落していた鈴木少年が、情動を完全に理解できないまでも、他者とのコミュニケーションを成立しうるまでに至ったのは、何らかの自我を束ねる手段を手に入れたのだと予想できる。
これはフィクションである。だが猛烈に好奇心をかき立てられる話だ。
この手の話は、これまでSF作品などでたびたび見てきた話ではある。
たとえば有名な漫画・アニメ作品『攻殻機動隊』では、「人工的に人間の脳と同様に組成したAIに、果たしてゴースト(魂)が宿るか」が語られている。
少年時代の鈴木一郎の描写は、精緻に細胞を組み上げて創られたAIを彷彿させる。この物語では、そのAI鈴木がゴーストを獲得する。そしてその因子は「殺人」である。
話は続編へ
突然変異的に自我を獲得すると人間はどうなるのか。
鈴木から意識の端緒を敏感に感じ取った鷲谷は、逃亡する彼に向かって「あなたはどんな夢を見るの」と問う。意識があれば、副産物として無意識も存在するわけで、そうすると人は夢を見る。
だが鈴木の様子からは深い苦悩の陰りが見える。
コイツは最高に面白くなってきた!と思ったら本作は終わる。
そして続編があるという。続編で締めくくられるのか?
今日は本屋に寄って帰らなければ。
映像作品について
けっきょく再読して思い出したかというと、そもそも読んでいなかったんじゃないかという疑いが濃くなった。わたしの忘却能力はかなり優れているようだ。
しかし相当に楽しめる作品だった。
この作品は2013年に映画化されている。NetflixやAmazonPrimeVideoでは見当たらないので、もしかするとDVDでしか視聴できないのかもしれない。
気が進まないが、なんとか一度見てみたいのでレンタルするとしよう。
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著者について
首藤瓜於(しゅどう・うりお)
1956年栃木県生まれ。上智大学法学部卒業。会社勤務等を経て、2000年に『脳男』で第46回江戸川乱歩賞を受賞。著書に『事故係 生稲昇太の多感』『指し手の顔 脳男Ⅱ』(上・下)『刑事の墓場』『刑事のはらわた』がある。新刊は『大幽霊烏族 名探偵面鏡真澄』。 — 本書より引用
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