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明日のたりないふたり(若林正恭 & 山里亮太)【ライブの感想】

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2021年5月31日(月)18:30、「たりないふたり」という漫才ユニットの無観客配信ライブを見た。

6月8日まではアーカイブ配信があるとのことなので期限を待って、ごくごく私的な感想ではあるが、思いの丈綴った長文駄文をネットの海に流したいと思う。

※祝・アーカイブ延長。6月13日(日)23時59分までアーカイブの公開が延長されるとのことで、この記事の公開は6月14日(月)00時00分に変更した。

「たりないふたり」とは

「たりないふたり」とは、お笑いコンビ「オードリー」の「若林正恭」と、「南海キャンディーズ」の「山里亮太」によるお笑いユニットである。

たりないふたり2020 ~春夏秋冬~

日本テレビ「たりないふたり」公式サイト。オードリー若林正恭、南海キャンディーズ山里亮太。実力派芸人による漫才ユニットがまたまた復活!伝説のアドリブ(?)トークを披露!

2009年のお笑いライブで誕生したこのユニットは、2012年に日本テレビで番組放送が行われて以降、数々の素晴らしい漫才を披露してきた。

お笑い界、芸能界を全力で駆け抜けてきた二人が節目節目で再会しセンターマイクの前で披露してきたものは、「漫才」以上の何かであった。

しかし約12年続いてきた「たりないふたり」の活動は、今回のライブを区切りに解散となる。

これまでの集大成となる今回のラストステージは、3万5千人以上ものファンが見守る中、大きな笑いと感動の渦を巻き起こす素晴らしいものとなった。

「たりないふたり」との出会い

私はもともと「昭和のいるこいる」、「爆笑問題」といった関東の漫才師が好きで時折テレビやDVDで漫才を見てきた程度のお笑いにわかファンだった。

爆笑問題の太田光さんはその人間としての魅力にも興味をもつようにはなった。お笑い芸人、漫才師としての枠を超え、一人の人間の生きざまに魅せられるほどハマったのはオードリーの若林正恭さんがはじめてのことだった。

2008年にナインティナインの「おもしろ荘」という番組ではじめてオードリーの漫才を見てファンとなった。

ただミーハーではないので週末の「オードリーのオールナイトニッポン」や、漫才を披露する番組のみを追いかける、ややストイックなスタイルでの追っかけ方ではあった。

そして、私は称賛を集めやすいパフォーマーよりも、ゼロイチで奇跡の種を生むクリエイターを好きになる傾向がある。

当然の帰結として若林さんをとくに好きになった。

もちろん、若林さんの作る漫才を存分に演じ切る春日さんも素晴らしい。

時に誰もまねできないような特大ホームランをぶっ放す芸当は、若林さんとはまた違った魅力がある。

若林ファンとしては当然、南海キャンディースの山里さんと共に始まった「たりないふたり」の活動にも注目することとなる。

山里さんは、M1グランプリをキッカケにその存在を知ったが、彼の持つ本当のすごさや面白さは若林さんを通じてのものだ。

いよいよ終わってしまう「たりないふたり」、しかし始まってもう12年である。

12年という時間は人生においてなかなかにして長い期間だ。

それを競争が激しい芸能界で活動する期間として考えた場合、私は外の人間なので詳細には分からないが、気が遠くなるほどの長い時間だと想像する。

それだけの期間、別々のコンビの芸人が活動を続けてこられたことは奇跡と言っても過言では無かろう。

実力や努力だけではいかんともしがたい世界であろうし、ましてや彼らは、ユニット名のとおり「たりない」二人である。

常にハンデ戦を強いられているようなものだ。

だが彼らは「たりない」を武器に、猛獣たちがひしめく芸能界を相手に果敢に挑戦し、12年の期間を走り続け、共に一線で活躍するまでにいたった。

「たりないふたり」が披露する漫才にはその時々の彼ら自身の人生が色濃く反映されている。

強烈な若林さんのボケと山里さんの鋭いツッコミに大いに笑い、彼らの関係性や生きざまに魅せられる。

こん何も濃厚でおもしろい漫才は他では見ることができない。

満を持して、「無観客」というこれまでにない苛酷ともいえる環境で繰り広げられた漫才は、これまで以上に笑いも涙も止まらない内容だった。

「明日のたりないふたり」の感想

昨年の「たりないふたり秋」からラジオでの場外乱闘を聞き届けてからどれほど心待ちにしていたことか。

18時30分ちょうど、時間通りにいよいよ「明日のたりないふたり」が開幕した。

まずはこれまでの「たりないふたり」をダイジェストで紹介するVTRが流れる。

映像に映る彼らの姿を見つめながら、その時々の自分の人生で起きた出来事が重なって思い起こされる。

序盤にしていきなり「グッ」と来てしまった。

出囃子が鳴り無観客の中、センターマイク前に二人が登場する。

観客のいない独特な雰囲気が画面越しに伝わってくる。

若林さんはラジオで話すときのような落ち着いた語り口で、初っ端からこれまでの経緯をギュッと凝縮したようなボケをかましてくる。

山里さんはややかかっているような前のめり感がありつつも、小気味よくお得意のワードセンスで打ち返す。

いよいよ始まったなあと、早くも実感が湧いてくる。

しかし始まってモノの五分も経たたずに、これまでになかった無観客という未知の空間を自分たちのフィールドへと塗り替えてしまう。

なんというか腕がえげつないなと圧倒される。

冒頭の「実力者二人がやるわけですから漫才になっちゃう」という言葉はボケではなく、真であることが証明され笑う。

ここ最近の「たりないふたり」は台本がほぼないとのことで、若林さんが繰り出すボケの千本ノックを山里さんが全力で受け止め打ち返すラリーがアドリブで繰り広げられる。

若林さんは、山里ノートを巧妙に封じ、じわじわと追い込むことで絶妙な切り返しをうまいこと引き出している。

これは二人の腕と、互いの分厚い信頼による賜物であり、見どころとなる大きなポイントである。

だが、何より最高に楽しそうであることがおもしろいし嬉しいのだ。

開幕からのトークでコンディションは上々であることがわかり、「カイジの一本橋」を使ったノックが繰り出される。

どれもこれもおもしろいが、個人的には「イ~ケ~ア」「バキバキっ!」、「イ~ケ~ア」「バキバキっ!」が好きだ。

続いていまやMCとしての仕事をいくつも抱えるようになった二人が共演者を励ます設定に入る。

さまざまなタレントの名前を出していき、最後はトークがうまくできなかったアイドルを若林さんが演じ、山里さんがMCとして励ますネタは果たしてどうやって思いつくのか、腹が痛くなるほど笑った。

しかし12年という時間は残酷だ。

若林さんの息切れがあまりにひどく、老いから感じる時間経過が沁みる一方で、老けた若様がめくちゃくちゃおもしろい。

12年前からはとても想像がつかないが、いまや二人とも結婚し奥さんがいる身となった。

だからこそできるようになった若林夫妻が、山里夫妻の家に招かれるという設定。

こんな設定、実現する日が来るとは目出たいじゃないかと思うのだが、いきなり風俗の話に脱線し盛り上がる次第。

ステージには二人だが、そこにいないはずの「にょぼばやし」がボケる姿が目に浮かぶ。

「バンクシーか!」「落書きするな!」

瞬時に状況を判断し的確にツッコむ山里さんもすごい。

ダメ出しに弱い山里さん、「ダメ出しを女王様の言葉責めだと思えば快感に変わる」という若林さんの提案から、桜木町で登場した女王様が登場。

「М」は山里を覚醒させる。

若林女王様のムチを合図に、いよいよ「たりないふたり」の核心へと入り込んでいく。

それにしても「Mの覚醒」を果たした山里さんの舌の滑らかさは尋常じゃない。

何部作かわからないぐらい「クローズ!」を連発していた山里さんの、もっともNGワードは「アップデート」だった。

序盤でちらりと顔をのぞかせていた、受口で歯のないおっさんが客席に登場する。

観客に扮し、客席にいる若林さんと、演者として舞台に立つ山里さんの掛け合い。

こんな光景、いまだお笑いライブで見たことない。

このあたりで、私の中に爆笑と感動のカオスが大きな渦を作り始めた。

「オレは、秋も好きだよ」

この「秋」とは、山里さんが若林さんにどっちが上か下か論争を持ちかけて拗ねるというクズっぷりを発揮した出来事であり、結構な騒動のキッカケともなった。

ふいに放たれた、その「秋」を肯定するこの言葉。

この言葉はデカい音を鳴らし私の胸に響いた。

若林さんが繰り広げるワールドはここで一気にギアが上がり加速していく。

「アップデート」というワードにピリピリしていた山里さん。

いよいよこれまで自分のメインウェポンであった「自虐の竹やり」を捨て去ることを迫られる。

後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、無観客の客席という池へと投げこむ。

池から若林さん、いや神様が顔を出し、「お前が捨てたのは『自虐の竹やり』か?それとも『人間力のマシンガン』か?」、と問う。

山里さんは、迷いに迷いながら「人間力のマシンガン」を選択する。

自分で磨きに磨き愛してきた「自虐の竹やり」を捨て、女優さんと結婚しいまや大物MCへの道に片手をかけるところまできたこれからの山里亮太に相応しいのは「人間力のマシンガン」であると。

「お前、竹やり捨ててんじゃねーぞっ!!!!!」

観客のいない客席から、「若林正恭」という一人の剥き出しの人間が全力で叫ぶ。

このことは、ラジオで若干の伏線は引かれていたが、これほどまで深いものであったとは。

彼の心の底からの叫びに奮えた。

「たりないふたり」とは、「たりない」を「たりる」に変えていく成長のプロセスだと思っていた部分があった。

劣等感やネガティブは悪いもので、変えていかなければならないものだと、いつしか思い込んでしまっていた。

だが、若林さんがたどり着いたのは、「受容」という境地だった。

自虐を愛する山里亮太も、彼らのみならず全国にいる「たりない」たちの足りなさも、すべて肯定することが芸人・若林、いや人間・若林正恭が導き出した答えだったのだ。

山里さんが投げ捨てた「自虐の竹やり」を、若林さんは山里さんの手に戻してやろうと客席をぶっ壊しながらステージへ帰還する。

無観客だと演者は客席を破棄することができる。

新たな知見を得た。

再び自虐の竹やりを、若林さんの手によって取り戻した山里さんは、これからの未来に向けて「竹やり訓練」を行う。

若林さんが「ネットを探して見つけてきた山里が返しづらいであろう文言」を、山里さんは見事に「自虐の竹やり」でことごとく打ち返す。

「自虐」は山里を覚醒させる。

「M」と「自虐」は、山里亮太を何倍もスケールアップさせる。

最後の訓練は「co-opのトラック」、と思いきや「ワカバヤ・シン」。

山里さんがエヴァの設定にいまいちピンと来てない感じがおもしろさを増す。

山里さん自身が「シンジ君」だから、そもそも縁がなかったのか。

ワカバヤ・シン、いや若林さんはここ最近の「たりないふたり」では見られなかった、強烈な自虐によって自らのコアを破壊しようと試みる。

人間力のマシンガンは、その実、モデルガンだった、という若林さんの独白。

「ロンギヌスの槍」と思いきや、「ワカバヤ・シン」が取り出したのは「自虐の竹やり」だった。

笑いと感動は完全なる均衡を保ち始め、鳥肌が止まらなくなる。

このあと下北沢を爆心地とした「フィフス・インパクト」が起こるのではないかと思う瞬間であった。

今回もまた、エンディングに向けて「汚いヘリコプター」が迎えに来る。

ブリブリ跳ぶヘリに二人が数珠つなぎにぶら下がり叫んでいた。

たりないふたりは、最高のたりないふたりを生み出しただけじゃないかと。

これまでもそうだし、今回もそうだった。

最高のたりないふたりが、最高のたりないふたりを生み出し、そしてその光景をこれから世に出てくる最高のたりないふたりたちが見つめている。

ステージ上で、漫才師二人ともが仰向けに倒れ、無言無音の時間が続く。

状態だけを言い表せば、大事故のような状況だが、ここの余韻は美しく愛おしい時間だった。

力尽きるように倒れる二人への羨望と感謝ともうすぐ終わってしまうのだという寂しさが入り混じる、何とも言えない感情だった。

座り込んで話し込みだす二人。

山里さんが直後のラジオで「若ちゃんがライブ終わりで近くの公園で漫才やろうって言っていた、あれを今回本当にやるんだと思った」と話していた。

公園でひとしきり、二人きりで漫才を全力でやった後の光景が目に浮かんだ。

「空がきれいだ」とつぶやいた若林さんのその目には、近くの公園で寝転がって眺めた空が映っていたのかもしれない。

若林さんはもう完全に素になってしまっているようだった。

「たりなくてよかった」

否定ではなく、変化の強要でもなく、ただ受容する。

簡単なことのようで、とてつもないエネルギーと時間を必要とすることだけど、その道のりの先にどれだけ素晴らしいことがあるのか、二人は体現してくれた。

真っ白な灰になった二人が顔を上げると、そこには彼らが生み出した次世代のたりないふたり「Creepy Nuts」が。

もうこれで号泣しないわけがない。

全たりないが泣いた。

私の涙腺も完全崩壊した。

抑えきれない涙を流しターンテーブルを繰るDJ松永、渾身の力を込めフリースタイルでリスペクトを謳い上げるR指定。

そして、この瞬間をまた次の世代の「たりない」たちが見ていただろう。

無観客オンライン配信という環境での締めくくりとなったが、この2時間、いや12年間を私は決して忘れないだろう。

その身を投げうち漫才を披露し続けてくれた若林正恭さんと山里亮太さん、安島さんを始めとするスタッフの皆さまに、心から感謝を込めて拍手を送りたい。

ライブを見終えて

表現手段を持たない私のような市井の「たりない」は、日常で起こる「たりないジレンマ」をグッと飲み込み、「たりてる擬態化」をしながら日々を生きている。

いつか、「自分はたりてる側の住人」だと錯覚し、知らないうちに自分が何者であるのかを失っていってしまう。

そして、それが続くと人は死ぬ。きっと。

しかし私には「たりないふたり」との出会いがあった。

彼らの漫才を見るたびに、自分が何者であるのかを思い出し、取り戻すことができる。

そしてまた、明日を生きることができるようになる。

今回、解散となってしまったけれど、私は明日からもこの先をずっと生き続けられる勇気をもらうことができた。

ずっとたりなくてもいいし、それで戦っていくことを宣言した今回の解散ライブでの二人の姿を見て、同じことを感じた人は数多くいることだろう。

「たりないふたり」が表現してきた漫才は、確かに当初からの物語を知ることにより何倍にも思い入れが増幅し面白さの増す要素はある。だがそれ単体としても素晴らしいものだ。

冒頭でも書いたが、漫才を超えた何かだと思う。

洋の東西を問わず、すべての舞台芸術を見渡してみても、これほどのものはそうないと思う。

同じ時代に生まれ「たりないふたり」を目撃できたことは、私の人生における大切な宝物だ。

できれば、ひとりでも多くの人に巡り会ってほしいと切に願っている。

「たりないふたり」を見るには

公式サイト

たりないふたり2020 ~春夏秋冬~

日本テレビ「たりないふたり」公式サイト。オードリー若林正恭、南海キャンディーズ山里亮太。実力派芸人による漫才ユニットがまたまた復活!伝説のアドリブ(?)トークを披露!

Hulu & Amazonプライム

過去の放送は、Huluで見ることができる。

また解散ライブとなった今回の「明日のたりないふたり」も、いずれ何らかの形で公開されると思う。

今回見ることができなかった方も、辛抱強く待ってぜひぜひ見てほしい!

たりないふたりのドラマ化『だが、情熱はある』

日本テレビ系列にて、たりないふたりの両人、若林正恭(オードリー)と山里亮太(南海キャンディーズ)の半生を描くドラマが2023年4月9日よりスタートした。

【公式】日本テレビ 日曜ドラマ『だが、情熱はある』

オードリー・若林正恭役 髙橋海人(King & Prince)。南海キャンディーズ・山里亮太役 森本慎太郎(SixTONES) 日本テレビ2023年4月期日曜ドラマ『だが、情熱はある』公式サイト。

長年、たりないふたりを追っかけていたファンにとってはエモい場面の満載の内容となっている。

この追記を書いている時点で、TVerにて無料で第1話から視聴ができる。

そして、たりないふたりのオリジナル放送回も順次公開されている。

まだたりないふたりをご存じない方がこの素晴らしい物語と出会うきっかけになればうれしい。

Top photo by たりないふたり - 日本テレビ

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