家族との別れ【日記】
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我が家の家族構成は私を含め2名と1羽だった。
今年の1月12日金曜の早朝、家族の一員だったシナモン文鳥が亡くなった。
「ティピ」という名の男の子だった。
昨年の10月に体調をくずし、以後3か月余りの戦いのすえ、旅立っていった。
もう2か月以上が経過したがその間の記憶ははっきりしない。
亡くなってしばらくのあいだ、毎朝はっきりと聞こえた「チピッ、チピッ」という空耳はもう聞こえなくなってしまった。
だがまだ心が落ち着くことは無く、どこかそわそわとした心地が続いている。
私が最後に彼を見たのは亡くなる前夜、ケージの奥に体を向けじっとしている姿だった。
それまでは、どれだけ体調が悪くとも、ケージに布をかけて真っ暗になるまでこちらの方を見ようとしていた。
いま思えば、限界に達していたのだと思う。
鈍感な私は眠りにつき、翌朝、泣きはらしたパートナーに起こされ、亡くなったことを知らされた。
目を閉じ動かなくなった彼の姿と、悲しみに押しつぶされそうなパートナーの姿を今でもふとした時に思い出す。
とっさに出たのは「がんばったね」という言葉だった。
体調をくずしてから、かつての力が出ないながらも水を飲み、食事をし、必死に生きようとする姿を私たちに見せていた。
もう止まり木に乗る力もないにもかかわらず、ケージの掃除のため手を入れると、残る力で手のなかに乗ってこようとする。
彼の不安が伝わってくるようで、とても悲しかった。
その日の夜、近くのペット専用の火葬場に電話をすると翌日対応してくれると返答があった。
火葬場では、案内に従って用意した元気だったころの写真、持参した花をきれいに飾り、美しい祭壇をつくってくださった。
最後のお別れのとき、押さえることができない涙とともに「必ずまた会おうね」と声をかけていた。
輪廻転生を信じている自覚はなかったが、自分の中にそういう感覚があるのだと知った。
火葬のあいだ、パートナーと真っ白な待合室で過ごした。
強い虚脱感を感じていた。
待合室の隣は、たくさんのペットたちの骨壺が、写真や思い出の品とともに並べられている共同の納骨堂だった。
扉はなく入ることができたが、かつて幸せだった記憶と深い悲しみが空気としてそこにあるようで立ち入ることができなかった。
我が家でもっとも小さい個体でありながら、もっとも大きな存在感を放っていた。
彼の小さな動作や呼びかけに私たちは常に反応していた。
家族であり、大好きだし、ともに過ごせることが毎日うれしかったのだ。
元気だった時の姿を思い出したいのに、弱ってからの姿を何度も思い出してしまう。
共に過ごした時間を幸せな記憶とするには、まだ悲しみが勝るのだろう。
かつて彼が過ごした場所に、いまは小さな骨壺と写真と好きだったおもちゃなどが置かれている。
朝晩だけでなく、ふとしたときに「ティピちゃん」と声をかける。
そして、手のひらの中に彼の温かさや羽毛の柔らかさを思い出す。
ふとした瞬間、膝から崩れてしまいそうな悲しみや寂しさに襲われる。
そんな時、彼は命の最後の瞬間まで立派に生きて旅立ったのだから祝福をしなければいけない、寂しさは私のエゴだ、と自分に言い聞かせる。
でもやはり、寂しいし悲しい。
彼に会いたい。会いたくてたまらない。