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『マインド・タイム 脳と意識の時間』ベンジャミン・リベット【読書感想】

初稿:

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『マインド・タイム 脳と意識の時間』の概要

私たちが何かをしようと意識するよりも前に脳の活動が始まっている。この発見が哲学において名高い自由意志の論争に衝撃をもたらしたように、リベットが提示する実験結果に裏づけられた驚愕の知見は、幅広い分野に大きな影響を与えてきた。脳と心や意識の関係を考える上で必読の、脳神経科学の歴史に残る研究がまとめられた一冊。 マインド・タイム - 岩波書店より引用

本記事の概要

前半は、『マインド・タイム 脳と意識の時間』の内容紹介、実際に読んでみての感想を記した。後半は、本書のテーマである「意識」と「無意識」について個人的考察をまとめた。

読書感想

例えば、車の運転中に子どもが飛び出してきたので車を停車させた。この時、私の知覚は「子どもに気づきブレーキを踏んだ」である。だが脳の活動を観察すると、その実感とは異なるようだ。

視界に子どもの存在を認めた視覚刺激に反応し、ブレーキを踏む動作を行ったのは「無意識」の活動である。意識つまり私の知覚はそこから0.5秒も後に起こっている。意識より前に準備電位と呼ばれる無意識の電気信号が先に立ち上がるというのだ。

1983年、ベンジャミン・リベットは科学的な実験によりこの事実を確認した。本書はこの発見に至った実験の詳細なレポートである。

無意識と意識の動きの図
本書P122 図3.1より

前置き

私は医療や神経科学の素人であり、専門的な知識を有していない。よって本書について、間違った解釈をしている可能性はなきにしもあらず。

あくまで素人による読書感想の範囲で記述した内容であることをご容赦いただきたい。

リベットが発見したこと

本書には、リベットが行った実験の詳細なレポートのほか、実験にいたる経緯、反論に対する反論、証明できていない関連分野への仮説などが含まれている。

実験以外の部分もたいへんに興味深い。だが実際にリベットが証明したのは「タイムーオン(持続時間)理論」というもの。

「タイム―オン(持続時間)理論」とは?

前提として、意識と無意識の最も大きな違いとして、リベットはアウェアネス(気づき)の有無を指摘している。

私たちの自覚、それはつまり「アウェアネス」が生じ、意識的な精神活動が行われている状態である。それ以外のアウェアネスが生じていない状態が無意識となる。

リベットの「タイム―オン理論」は2つの主張から成り立っている。

  1. アウェアネスを生み出すには、脳活動が最低でも約0.5秒続いている必要がある。
  2. アウェアネスに必要な持続時間よりも短くても、無意識の精神機能を生み出すはたらきがある。

例えば、森林の風景映像に海辺の風景を0.5秒より短くランダムに表示した場合、私たちは海辺の風景を認識できない(アウェアネスは生じない)が、無意識は反応を示すことができる。

私たちの意識が及んでいない刺激にも無意識は反応し、さまざまな脳内での活動を行っている。

これはつまり、無意識が先に活動を始めたあと、その活動が0.5秒以上持続した場合、意識にアウェアネスが生じることを示している。

ちなみに特定の運動を意識的に行う直前に、脳の運動領域で生じる微弱な電位変化を「運動準備電位」という。

私たちは無意識の奴隷なのか?

ほとんどの人がそうだと思うが、私たちは「自分の意志で思考し行動している」と思っている。

乱暴な言い方をすれば、この精神と身体の主は「私=意識」であり、無意識は「副次的存在」ぐらいに、うっすら思っているのではないか。

少なくとも私はそう思っていた。

だがリベットが実験で証明したことは、これら概念を真っ向から否定するものに思える。

では私たちは無意識の奴隷で自由意志は存在しないのか?本書はその証明にまでは至っていない。

だがリベットは、仮説として意識が行うこととして、無意識の活動をキャンセルすることが可能と主張している。

これは2015年、ドイツベルリン大学附属シャリテ病院の研究チームの実験により、意識に0.2秒の猶予があると証明した。

「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果

われわれに自由意志は存在するのか? 熟考した末の意識的な決断は、自由意志の表れではないのか? 長年にわたって繰り広げられてきた思索と研究の末、いま興味深い研究結果が発表された。

いまキーボードを叩きながらこの記事を書く行為は、私の無意識が開始した行為である。私が意識的に可能な行動は、この作業をキャンセルすることだけらしい。

だが記事を書き終えたいと思っているのでキャンセルする必要はない。むしろ、そろそろサボりたいと思い始めている無意識の思考をキャンセルしようと抗っている。

もうひとつ、なぜ0.5秒前に開始した無意識の反応を、私は「今」と知覚するのか。無意識が意識を錯覚させる働きを持つとリベットは仮定した。

これについてその後の研究などは見つけることができなかった。事実だとすれば、無意識は意識のキャンセルをかいくぐって行動し、さらに意識に0.5秒のタイムシフトを仕掛けてもいる。

読書感想のまとめ

専門的な知識を持たない私にとって、リベットの実験レポートはかなり難しかった。

だが本書には、著者による解説や研究周辺のエピソードなどが盛り込まれている。おかげで興味深く読み進めることができた。

デカルトとリベットのバーチャル対談などもあり、これはかなりおもしろい。

リベットが示したことはシンプルでショッキングだ。

一方で、意識と無意識について知ること、考えを巡らせることは、とても大切なことだと実感している。これについては、記事の後半でまとめてみたい。

とにかく大きな驚きと発見に満ちた一冊である。

少しでも興味がわいたら一読することをおススメしたい。読む以前の自分を遠くに感じる不思議体験をぜひ。

読後の考察

無意識について考える

フロイトの「我思う、ゆえに我あり」が指す、「自分自身」という概念は、私たち人類が後天的に獲得したものであろう。

というのも、私たち人類のルーツをたどっていくと、そこには意識がまだ芽生える前の姿があったはずだ。

生物の歴史を思えばむしろその時代の方がはるかに長い。

つまり意識を獲得する以前に、私たちの祖先は厳しい自然環境・生存競争を生き抜いてきたのだ。

いつ「意識」が生まれたのかは分からない。だがどこかの時点で、新参者である意識が、脳の精神活動から身体にいたるすべてをあたかも自身が制御している、と勘違いするようになったのではないか。

生存のエキスパートである無意識を、後発の意識が支配できるわけがない。そう思えてきたら無意識への認識も変わりそうだ。リベットの主張に対する抵抗感もやわらいだ気がする。

実際、私たちの無意識の精神活動はかなり優秀である。

スポーツや楽器を演奏した経験を思い出してみる。

体が勝手に動き、自分がそれを見ている、あるいは感じているような体験はないだろうか。優秀である無意識の活動を、意識が邪魔をしないことが上手のコツというものではないか。

意識の介入を抑え、無意識の活動を全開放する瞑想やメンタルトレーニングなど。これらはリベット的に見ると、とても理にかなった行為と言える。

理性について考える

理性は意識と無意識のどちらにあるのだろうか。

私たちが無意識だけだった時代、それはつまり野生の時代と仮定する。そして脳の発達の副作用か何か、要因は分からない。ある時から私たちの精神に意識が生じた。

野生の時代から遠ざかり、現代にいたる社会を形成した要因について考える。それは、無意識が行う野生のふるまいを、意識が繰り返しキャンセルし続けたから、とさらに仮定する。

そして、このキャンセルし続けるトリガーが、意識の中にある理性ではないか。という私の妄想の話しである。

野生を封じ、理性的なふるまいへといざない続けた意識によるキャンセル。これが現在の人間社会を形成した。あくまで個人的な妄想。

刑法にみる意識と無意識

現代の刑法を見ると、先人たちは既に知っていたように思う。

誰もが一度くらい、無意識のうちに違法とされる内容を想像したことがあると思う。私はたくさんある。だが法に触れる行為を想像する分には罪に問われない。

一方、その想像してしまったことや無意識に湧き上がる衝動を抑制しなかった、あるいはできなかった場合。行為の結果によって罪となる。

リベット的に言い換えると、意識によるキャンセルを行わなかった場合だ。

また、何らかの疾患によりキャンセル機能が不全の場合。これは罪に問われない場合がある。

つまり、刑法は意識のキャンセル機能に責任を求めている。リベットの実験を裏付けるかのような構造性を感じる。

最後に

リベットの実験は個人的に救いであった。

思いたくないのに思ってしまう、考えたくないのに考えてしまう。本当の自分がわからなくなる。誰もが経験するであろう自己矛盾のようなこれらの状態に、私は大きなストレスを感じてきた。

本書を通じ、「意識するこの私は、無意識の私の観測者である」との認識にいたった。そして、意識する私に与えられたのはキャンセルボタンのみ。

無意識の私が狂った方へ向かわぬよう、意識する私はちまちまとキャンセルボタンで軌道修正を図りながら生きるしかないのだ。

これまでの葛藤はなんだったのか?とてもスッキリした気持ちになってしまった。

自分史上、最も深く自分を知る機会となった本書に心から感謝をささげたい。

著者・訳者について

マインド・タイム - 岩波書店より引用

ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet) 1916年生まれ。シカゴ大学で Ph.D.(生理学)を取得。1984年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校名誉教授となる。2007年死去。

下條信輔(Shinsuke Shimojo) マサチューセッツ工科大学で Ph.D.(実験心理学)を取得。現在、カリフォルニア工科大学生物学・生物工学部教授。

安納令奈(Reina Anno) 大学卒業後、アメリカン・エキスプレス日本支社や国際NGOを経て、フリーランス翻訳者に。

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