最近思うこと(2025年1月)
初稿:
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今年も早いもので1月が終わろうとしている。
ここ数年、1月になると前年を振り返り、新たな年に向けての目標を書き連ねることが習慣となりつつあった。しかし、昨年は年明け早々に家族の一員であった文鳥が亡くなり、それどころではなかった。
今年は、何というか、過去や未来への関心が薄れている。無気力というのとは少し違う。ただ、今を生きることに集中しているという感じだ。
元来、目の前のことを見聞きしつつ、関連する過去の記憶に思いを巡らせ、その先の展開を考えたりすることが好きだった。しかし、最近は、そういった思考が減り、「いま」に集中していることが多くなった。
なぜそうなかったのかを振り返りつつ、最近思うことを書いてみる。
実感は薄いのが、この数年で多くのことが起きた。
コロナ禍が始まる直前、母親が脳梗塞で倒れ手術を受けた。コロナ禍が始まりたいへんな中、父親が脳出血で同じく手術。その2年後に妹が亡くなった。昨年は、文鳥が亡くなり、パートナーが大きな手術を受けた。
その時々では大いに狼狽し、悲しみに暮れたりしながらも、やらなければならないことを夢中でやっていたと思う。
だが、それらが過ぎ去り、いまは何もない日々が続いている。それは、何かが足りないわけではない。むしろ、何もないことが、何かを感じさせる。
先のことをあれこれ考えたりしなくなり、過去に縛られることもなくなった結果、いま目の前にあるものに、より関心を持つようになったのかもしれない。
私自身も昨年から目がかなり見えなくなってきた。半年以上、検査が続いてまだ原因がわからない。当初、いずれ全盲になるかもしれないからと、今から準備できることをしようと思っていた。しかし、いまは、見えているうちに、見えるものを見ておこうと思っている。
それが、良いことなのかどうか、そういう善し悪しも関心がない。ただ、その時々を感じ、思考を巡らせ、それを積み重ねながら時を過ごしているだけでいい。
またとんでもないことが起こるかもしれないし起こらないかもしれない。それは、その時になってから考えればいい。
いまは、ただ、いまを生きることに集中している。