DIC川村記念美術館のロスコ・ルーム訪問記:高村薫の小説から実物の絵画へ
初稿:
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先日、DIC川村記念美術館に行ってきた。
DIC川村記念美術館は、DIC株式会社が関連企業とともに収集してきた美術品を公開する施設です。 20世紀美術に主眼を置いた多彩なコレクション、作品にふさわしい空間づくりを目指した建築、四季折々の変化が楽しめる豊かな自然環境。これら「作品」「建築」「自然」の三要素が調和した美術館として、1990年5月、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内にオープンしました。 — DIC川村記念美術館についてより引用
目的は、106展示室「ロスコ・ルーム」である。
日本で唯一見られる、マーク・ロスコの特別な部屋 知られざる日本のすごいアート(第1回)
ロスコは“無意識のアート”といえるかもしれない。そして、DIC川村記念美術館のロスコ・ルームはその特質がいかんなく発揮されるべき空間である。
絵画に疎い私がなぜこの展示室に興味を持ったか。それは高村薫の小説に理由がある。
長編警察ミステリ作品で広く知られる著者だが、2000年代に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』という3部作を発表した。この3部作は、それまでの作風とは異なり、先の大戦から現代までの日本を舞台にした大河小説である。そして、3部作の最後を飾る『太陽を曳く馬』の装丁に、ロスコの絵が使われている。


この小説は「現代アート」と「新興宗教」の本質に迫ることで、20世紀末の日本を浮き彫りにする。ロスコの強烈な「赤」は、時代の大きなうねり、そして作中の凄惨な事件と重なり合い、私の脳裏に刻まれた。
いつか実際の作品を見てみたい。これがロスコ作品への初めての興味だった。以下は『太陽を曳く馬』を読んだ当時の感想である。
現代の東京に降臨!惨劇の部屋は殺人者の絵筆で赤く塗り潰されていた。赤に執着する魂に追縋る一方で、合田は死刑囚の父が主宰する禅寺の施錠をめぐって、僧侶たちと不可思議な問答に明け暮れていた。検事や弁護士の描く絵を拒むように、思弁の只中でもがく合田の絵とは?
日付を確かめると、なんと10年の時が過ぎてしまった。
そんな最中、DIC川村記念美術館が閉館するニュースが飛び込んできた。
DIC川村記念美術館(千葉県)が都内への縮小移転を決定 保有作品25%程度に絞り、公益性高い施設に移管 経営会社発表
「東京への縮小移転か、美術館運営の中止」の2案を検討してきたDIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)の経営会社は12月26日、保有作品を25%程度に縮小したうえで、東京都内へ移転することを決定しました。発表によると、保有を続
この機会を逃すと二度とロスコ作品を目にすることはないかもしれない。急ぎ予定を立てることにした。
当初、2025年1月末の閉館予定だったが、3月末まで延期となった。閉館が近づくにつれ混みあうだろうと予想し、2月中の平日を選んだ。それでもやや混みあうほどの人出だった。
広い森と池に囲まれた、美術館というよりは古城のような雰囲気の建物に、ロスコの作品が展示されている。

広々としたいくつもの空間に、様々な作品がゆったりとしたスペースで展示されている。残念ながら、私にはその素晴らしさを十分に理解することはできず、その先にあるロスコ・ルームだけが頭の中にあった。
満を持して、106展示室「ロスコ・ルーム」の入り口にたどり着いた。
やや狭い入口をくぐり、目の前に広がるのは、真っ赤な壁に囲まれた部屋、のはずだった。
ロスコ・ルームの照明はかなり暗い。おそらく、暗さに目が慣れるにつれ、目の前に巨大な赤い壁が浮かび上がる演出と思われる。
しかし、私は目に疾患がある。暗さに目が慣れることができない。暗い場所は、いくら時間が経過し目を凝らしても暗いままだ。ロスコの作品は真っ黒な壁でしかなかった。
気がつけば学芸員の方に「この部屋の照明はいつもこの明るさですか?」と尋ねていた。
日頃、他者との会話を避けることに心血を注いでいる私にとって、この行動は異常だ。しかし、異常な行動を起こすほどショックだったのだ。
学芸員の方は「いつもこの明るさです」と答えた。私は「ありがとうございます」と答え、その場を後にした。
『太陽を曳く馬』を読んだ時、ロスコの赤は私の脳裏に刻まれた。しかし、その赤は私の目には届かなかった。
だが、実物の絵が存在する空間に身を置くことができた。この日のことをいい思い出として残すために、この日記を書いた。
